おはようございます。
子供の教育、子供を持つ親ならば共通の関心事ですよね。
私自身も学生を卒業してから自分が子供を持つまでは全く興味がなかったのですが、今では学習指導要領が改訂されたりすると敏感に反応してしまいます。
大人になった今、もし自分が学生に戻ったらどういうことを意識して学生生活を送るかを考えてみたいと思います。
学生のうちは学歴という本流で勝負をしよう
貧乏でも研究者として一生自分の好きな研究ができればそれで幸せ、という方もいるかもしれませんが、独身時代はよくても家族を持つとそうは言っていられなくなります。
よほど貧乏研究者であり続けることに理解力のあるデキた配偶者をもらうようにしないと、自分自身は満足していても家族が不幸に巻き込まれます。
学歴をマネタイズするという意識はやはり必要
自分の夢をひたすら追うというのも悪くはありませんが、やはり学歴をマネタイズするという意識は重要だと思います。
「東大卒で年収500万円」と言えば、「えっ、東大を出て年収たったの500万なの!?」と驚かれるのは今も昔も変わりないでしょう。
学歴と将来の年収にはある程度相関があるというのが世間の常識であるからこそ、世の教育ママが自分の子供に「お受験」をさせて東大や医学部に入れようとするわけですね。
要するに、「お受験」は自分の子供の将来の高年収を保証するための賢い先行投資ということです。
世の教育ママも意外と経済的合理性に合った行動を取っているのかもしれませんね。
実際、出身大学による年収の違いってどれくらいあるの?
学歴と将来の平均年収に相関があるかどうか実際のデータで検討してみます。
下の表を見てみますと、出身大学による40歳前後での平均年収の違いはやはりありそうですね。
う〜ん、さすがは東大といったところでしょうか。
2位の京都大学以下を大きく引き離して圧倒的ですね。
上位の大学を見てみると、入学にはある程度の高学力が求められる大学ばかりです。
こういったデータは出典元によって若干の違いはありますが、東大や京大、一橋や慶應などの一流校が上位にランクインしているのは共通しています。
やはりある程度最終学歴と将来の年収はリンクしていそうですね。
学歴をマネタイズするという意味では、我々医師も東大卒と並んで優秀
次に、医師の年齢別平均年収を見てみます。
医師の給料・年収 | 医師の仕事、なるには、給料、資格 | 職業情報サイトCareer Gardenから引用
医者の平均年収ですが、私の実感としてもまぁこんなものかなという感じです。
25歳〜29歳が極端に低いのは研修医という立場だからですね。
労働時間が不当に長い割に薄給といういわゆる「奴隷時代」です(笑)
医者の場合、初期研修2年を修了して3年目になった途端に給与が急激に伸びます。
30代で常勤勤務医だと1000〜1500万くらいではないでしょうか。
余暇を犠牲にして死ぬ気でバイトをすれば、プラス500万くらいは稼げると思います。
40〜50代以降もきれいな右肩上がりのチャートになっているのは、「開業医」の割合が高くなっているからでしょう。
私の実感として、勤務医ではここまで右肩上がりにはならないと思いますね。
今の勉強が将来の自分を利する行為であることをいかに強制力なく分からせるか
このようにいろいろ見てくると、今のところ「東大卒」や「医師免許」は将来の高年収につながりやすいようです。
そして、今の受験システムだと「ルールをいち早く理解した上で先取り学習をした人」が勝つ確率が高いです。
中高一貫の進学校が大学受験において有利なのは、中高の6年間をフル活用した学習プランをたてられるからですね。
高校受験があると、中学卒業までは良い高校に入学するために中学校で学習する内容にひたすら専念することになりますので、大学受験においては不利になりがちです。
ただし、中高一貫校もいいことばかりではありません。
エスカレーター式に高校に進学できるため、中学時代にドロップアウトすると一生這い上がれなくなります。
私の友人で、高校3年生の時点で小文字のbとdがどっちがどっちか分からない友人がいました(笑)
このあたりは中高一貫校の落とし穴ですね。
まとめ
テニスの錦織圭やゴルフの松山英樹のようになれれば億万長者は決定ですが、才能に左右される所も大きく、努力量が結果に直結しないためボラティリティの高い賭けです。
今のところ自分の子供には学歴という本流で勝負させた方が良さそうですね。
こんな記事も書いています。
過去にも学歴社会はまだまだ終わっていないという内容の記事をアップしていました。もしご興味ありましたら合わせてどうぞ。
せっかく東大に入っても、就職を間違えると取り返しがつかないことになります。優秀な人ほど、「今」ピークを迎えている人気企業からリクルートされやすいですが、その企業の20〜30年後の将来を考える必要があります。